クリストフォリのピアノ(1726年製)

1709年にフィレンツェで、チェンバロ製作家のバルトロメオ・クリストフォリにより作られたフォルテピアノが最初のピアノと言われています。彼は仕えていたメディチ家のフェルディナンド王子から、音の強弱が乏しいというチェンバロの欠点を改良するように要請され、ピアノを製作したようです。クリストフォリが作ったピアノ(3台のみ現存)の音域は、4オクターブ(C-C)で49鍵(1722、1726年製)と54鍵(1720年製)でした。現在の88鍵になったのは約200年後の19世紀末です。88鍵のピアノが出す音域は、約28Hzから4200Hzであり、人間が音程を把握できると言われている20Hzから4000Hzの範囲をカバーしています。

クリストフォリの論文あるいは実物を見て、ドイツのオルガン製作家ジルバーマンが1730年代にピアノを作りました。ジルバーマンはプロイセンのフリードリヒ2世の庇護を受けてピアノを製作していました。1747年にベルリンを訪れたJ.S.バッハは、フリードリヒ2世にポツダムのサンスーシー宮に招かれ、ジルバーマンのピアノを演奏しています。バッハはそのピアノの響きを誉めますが、同時に短所(タッチが重くて高音が弱い)も指摘します。ジルバーマンはそれらを改良し、多数のピアノを宮廷に収めています。

かつて遺書の家にあったベートーヴェンのピアノ

18世紀後半に、ヨハン・アンドレアス・シュタインが、ジルバーマンのメカニズムを改良し、ドイツ式(ウィーン式)アクションを完成させます。シュタインのピアノは、音域が5オクターブ、61鍵で、連打が可能なエスケープメント機構を備えていました。モーツァルトは、軽快なタッチと明るい音色を持つ、このピアノを愛用し多くのピアノ曲を書いています。

シュタインと同時代に、イギリスに移住したジルバーマンの弟子のヨハネス・ツンペがハンマーアクション(イギリス式アクション)を開発します。その後、1780年頃、ジョン・ブロードウッドが、イギリス式アクションを改良し、弦の弾力を増しフレームも強化したピアノを製造します。ブロードウッド製のピアノは、晩年のベートーベンが愛用しました。古典派からロマン派にかけての時代はピアノの発展期であり、作曲家は開発されたピアノに合わせて曲を作ることもありました。この時代はピアノ製作者と演奏家が、協業してピアノを発展させたと言えます。

1789年のフランス革命以降、音楽の大衆化が進むと、ピアノは大ホールでの演奏に対応できるように改良されていきます。大きな音量と音の伸びを実現するため、ピアノの弦の強度は上がり、真鍮線から鋼線になり、全体の張力も増大し、それを支えるフレームも頑丈な鋳物製になります。低音弦には巻線の採用も始まります。演奏家の激しい演奏も、ピアノの性能向上を促しました。素早い連打やトリルなどの装飾音、速いパッセージなど、19世紀に活躍したロマン派のピアニストの演奏に対応するためにピアノは進化を続けました。1821年には、ダブルエスケープメントアクションが発明され、素早い連打が可能になります。張弦を交叉(こうさ)式にした交叉弦も考案されました。

ライプチヒ、グリーグ記念館のピアノ

18世紀初頭に開発されたピアノは、音楽家と共に200年近く進化を続け、19世紀末頃に現在とほぼ同じメカニズムになりました。アップライトピアノは、米国フィラデルフィアでJ・I・ホーキンスにより制作され、そのコンパクトさで現在も広く復旧しています。18世紀から20世紀を通じて、ピアノは欧米各国に広く伝わり、多くのピアノメーカーが誕生しています。現在知られている主なメーカーの創業は、プレイエル(仏)が1807年、ベーゼンドルファー(墺)が1828年、スタインウェイ(米、独)は1853年です。日本では創業1897年のヤマハが1900年にアップライトピアノ、1902年にグランドピアノを製作しています。カワイは1927年創業で、1928年からグランドピアノの製造を始めています。