ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)は、バロック時代の流れと古典派の新しい流れが交錯する17世紀末から18世紀前半にかけて活躍した音楽家です。バッハの代表曲には、マタイ受難曲、ブランデンブルク協奏曲、平均律クラヴィーア曲集などが挙げられます。
バッハは中部ドイツのチューリンゲン州アイゼナハで、父の町楽師ヨハン・アンブロージウス・バッハとその妻エリーザベトの8番目の子供として生まれました。彼の一族はその地方で有名な音楽家の家系でした。幼いバッハは父や伯父等から演奏を聴きながら育ったと思われます。
7歳で聖ゲオルク教会付属ラテン語学校に入学し、学業の傍ら聖歌隊でも歌っていたようです。10歳のころ父が亡くなり長兄のヨハン・クリストフに引き取られます。15歳直前にリューネブルクに移り、聖ミカエル教会付属校の給費生になります。リューネブルク時代には北ドイツの音楽に触れるとともに、南のツィレの宮廷音楽を通じてフランス音楽にも触れています。その後、バッハは18歳でアルンシュタットの新教会オルガニストを務めた後、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストになります。翌年の1708年にバッハはヴァイマールの宮廷楽団に移籍します。1714年に楽師長に就任しますが1716年末に期待していた楽長になれなかったことから、1717年にヴァイマールを去りケーテンの宮廷楽長に就任します。ケーテンでは1723年まで務めますが、ケーテン宮廷の音楽熱が冷却し音楽環境が悪化したこと、息子たちの進学のために大学のあるライプツィヒの聖トーマス教会カンテル(合唱長)の職に就き、この地で永眠します。
バッハは10人の子供を養育しなければならず、生活は楽ではなかったようです。そのため音楽家としての名誉や演奏環境だけでなく報酬にもこだわりを持っていました。そして高給を求めて何度も就職活動を行っています。また我が強い一面があり、雇い主の不当な扱いなどには黙っていなかったようです。そのためヴァイマールからケーテンへ移るときには、ヴァイマールの領主に数週間投獄されています。
バッハは音楽を重視するルター派に属しますが、教会音楽だけでなく素晴らしい世俗音楽も作曲しています。バッハにとっては教会よりも音楽そのものが重要だったようです。またバッハは生涯を通じて勤勉で、当時存在したあらゆる音楽の伝統を学び取り、自身の新しい音楽創造に生かしています。当時バッハの評価は低いものでしたが、彼の真価に気付いたメンデルゾーンにより紹介され、高く評価されるようになりました。豊富な音楽様式を含むバッハの音楽に対して、ベートーヴェンは「バッハ(Bach)は小川ではなく大海(Meer)である」という言葉を残しています。
バッハの音楽史への貢献を時期別に整理すると、
1) 初期(〜1708年)オルガン音楽の革新:ブクステフーデの影響を受け、即興性と情熱的な表現を追求。教会音楽の技術的基盤を強化
2)ヴァイマル時代(1708〜1717年)対位法とイタリア様式の融合:ヴィヴァルディの様式を鍵盤音楽に取り入れ、対位法の精緻化と国際様式の統合を推進
3)ケーテン時代(1717〜1723年) 器楽音楽の発展:無伴奏作品や協奏曲で楽器の可能性を拡張。舞曲形式の洗練と教育的作品の創出
4)ライプツィヒ時代(1723〜1750年)教会音楽の頂点と調性の体系化:カンタータや受難曲で宗教音楽の表現力を極限まで高め、《平均律クラヴィーア曲集》で調性理論を体系化
5)晩年(1740年代〜)対位法の集大成と抽象音楽の創出:《フーガの技法》《音楽の捧げもの》で音楽を哲学的・数学的構造として提示
バッハの時代にはまだピアノは普及していませんでした。バッハは晩年にピアノに関心を示した記録があり、クリストフォリ式ピアノを試奏した可能性もあります。そのためバッハの鍵盤作品は主にクラヴィコードやチェンバロのために作曲されており、バッハの曲をピアノで演奏するときには幾つかの留意点があります。
例えば、音の強弱を表現できないハープシコードのために書かれた音楽は、しばしば細かい装飾音や対位法的な複雑さを重視しているため、ピアノで演奏する際には、これらの要素を表現しつつピアノのダイナミクスを活かした演奏が求められます。クラヴィコードは、ピアノよりも音量が小さく、また柔らかい音色を持っているため、その音楽をピアノで演奏する場合、ピアノの強い音や大きな音量に気を付けながら、繊細な表現を心掛ける必要があります。ピアノは幅広い表現力を持ち、バッハの時代の楽器とは異なりダイナミクスや色彩感を活かした表現が可能なであるため、バッハの作品を新たな魅力とともに楽しむことができるのです。
バッハの音楽は、ピアノ音楽の発展において不可欠な礎となっており、彼の影響を強く受けたピアノ音楽家は数多く存在します。主な例を挙げると、
ベートーヴェン :《ミサ・ソレムニス》や後期ピアノソナタに対位法的構造を導入、
モーツァルト:《レクイエム》や《幻想曲とフーガ》などにフーガ技法を反映、
ショパン:《平均律》を意識し《前奏曲集》を全調で構成、
シューマン:《子供の情景》などに構造的美を反映、
ラフマニノフ:《前奏曲》シリーズにてポリフォニックな書法と精神性を融合、
ジャック・ルーシェ :バッハ作品をジャズに編曲し、ジャンル横断的な再解釈を提示、等があります。
ピアノで演奏されることが多いバッハの作品には、以下のような曲があります。
平均律クラヴィーア曲集(The Well-Tempered Clavier): 48曲の前奏曲とフーガからなる2巻構成の作品で、各調に1曲ずつ書かれており、ピアノ学習者やプロの演奏家にとっても重要なレパートリーです。
ゴールドベルク変奏曲(Goldberg Variations): アリアと30の変奏からなる作品で、技術的にも音楽的にも高度な演奏が求められます。
フランス組曲、イギリス組曲(French Suites, English Suites): バロック時代の舞曲を元にした組曲で、各曲に異なるキャラクターと技法が求められます。
イタリア協奏曲(Italian Concerto): チェンバロのために書かれた協奏曲形式の作品で、ピアノでの演奏でもよく知られています。
パルティータ(Partitas): 複数の舞曲から構成される組曲で、バッハの鍵盤作品の中でも特に高度なものとされています。
幻想曲とフーガ(Fantasia and Fugue): 複雑な対位法と自由な形式が特徴の作品です。
これらの作品は、バッハの卓越した作曲技法と音楽的な洞察力を示しており、ピアノでの演奏でもその魅力を十分に楽しむことができます。もちろん、これ以外にも多くのバッハの作品がピアノで演奏されており、それぞれに独自の魅力があります。